大晦日の二人ごと


「………静かだな」

 ぽつりぽつりと続いていた会話。
 それが途切れふと訪れた静寂に零れ落ちたのは、三郎の小さな呟きだった。
 こたつを挟んで向かいに座っていた兵助は、台の上にあったテレビのリモコンを掴む。

「テレビでもつけるか?」
「いや。そういうんじゃないんだ」

 この空間に不満があるわけではない。むしろ壊されたくないと思う程度には、心地良く感じている。
 先の呟きは自分でも意図しなかったもので、何故あんなことをと考えてみても明確な理由は分からなかった。

「ただ、静かだと思っただけさ」

 結局それだけしか言えなかった三郎に、兵助は長い睫を揺らして数度瞬きを繰り返した。
 それから思い至ったように、「ああ」と穏やかな表情で一つ頷く。

「まぁな。昨年はこんなに静かじゃなかったから」
「…ああ、そうか」

 兵助の言葉に、三郎の方が自分の呟きの意味をやっと理解する。
 それは、おそらく無意識に感じていたのだろう小さな違和感だ。

 昨年のこの日はこんなにも静かではなかったから。

 昨年のこの日は兵助の部屋ではなく、八左ヱ門の部屋に居たし。
 テレビも沈黙することなく、年越し番組を賑やかに映し出していたし。
 こたつの上は、空になったそばのどんぶり二つとみかんの籠だけなんてことはなく、何種類ものスナック菓子やら飲み物で溢れていたし。
 何よりも、部屋に自分と兵助だけでなく、雷蔵も八左ヱ門も勘右衛門も居た。

 昨年だけではない。毎年、いつもの五人でいつも以上に騒いでいたのだ。
 それが今年は二人きり。いつもと変わらない静かな時を過ごしている。

「…気を使わせたよな」

 少し申し訳なさそうに、しかしどこか微笑ましそうに目を細める兵助に、三郎はにやりと口の端を上げてみせる。

「あいつらが勝手にそうしたのさ。私たちは悪くないぞ」

 本当は二人とも今年もいつも通り、つまりは五人で年末を過ごそうと思っていたのだ。
 しかし、その話を持ち出したとき、非常に分かり易く驚き、慌てたのがあの三人だった。


「え…?今年も五人で過ごすの…!?」
「あれ?兵助と鉢屋って付き合ってる…よね?」
「…おいおい良いのかよ…こいつらクリスマスもスルーしてたよな…」
「うん…だっていつも通り僕たちとパーティしたでしょ…」
「ええ!?付き合って一年目ってもっとこう…ねぇ!?」
「ちょ…俺、あいつらのこと心配になってきたんだけど…!?」

 などど、あからさまに三人で小さくなってこそこそと話していたかと思うと、揃って、

「「「俺(僕)予定入ってるからっ!!」」」

 だから年末は二人で過ごして、と必死の形相で叫んだのだ。


 その時の様子を思い浮かべた三郎の忍び笑いに、同じ光景を思い出しているのだろう兵助の小さな笑い声が重なる。

「本当、あいつら友人想いだよな」
「ああ。私としては、嘘が下手すぎるところは心配だけどな」
「…全部丸聞こえだったしな」

 しばらく二人でくすくすと笑っていたが、やがて兵助がまだくすぐったそうにはにかみながらも、小さく首を傾げた。

「三郎は、みんなで一緒に過ごしたかったか?」
「まぁね、やっぱり楽しいし。…兵助もそうだろ?」
「ああ。違いない」

 にやりと唇で弧を描いた三郎に穏やかな表情で頷いて、兵助は「でも」と続けた。

「こういうのは、もっと嬉しい」

 頬杖をついて、真っ直ぐ三郎を見つめながら微笑んだ兵助に、三郎は一瞬虚を突かれた。
 やがて、室内は適温のはずなのにじわじわと熱く感じてくる。
 その感覚を誤魔化すように、三郎は唇を歪ませた。

「あいつらがいる方が楽しいんじゃないのか?」
「それはそうだな」

 皮肉のつもりだったそれをあっさりと認められ、三郎は思わず目を見張った。
 しかし兵助は何ら気まずさも感じていない表情で、当然のように続ける。

「こういうのは、楽しいっていうより特別だから」
「…特別?」
「そ。あいつらと過ごすのは、楽しい時間。三郎と二人きりは、特別な時間」

 にっこりと嬉しそうに笑う兵助に、三郎は今度こそあからさまにうろたえた。
 そんな彼に追い討ちをかけるかのように兵助は言葉を紡ぐ。

「楽しい時間は特定の人とじゃなくても過ごせるけど、特別なのは三郎と二人きりの時だけだからな」
「…特別って抽象的だな」

 このまま兵助のペースに呑まれてしまうのはやはりプライドが疼いて、三郎は悔し紛れにそんなことを呟く。
すると兵助は困ったように少し首を傾げた。

「そう言われても、言い表せないから仕方ないだろ。俺には何かと比べることも、何かに例えることも出来ないんだ。だから『特別』としか言いようがない」
「………。」

 ついに押し黙るしかなくなった三郎に、兵助は愛しげに微笑む。

「でも、こういう時間が嬉しくって、大切で、すごい幸せってことは言えるかも」
「………恥ずかしい奴」

 それだけをやっと呟いて、自分の前髪をくしゃりと掴みながら三郎は俯いた。
 せっかくこうして顔を隠しても、覗く耳や首筋が頬と同じ色に染まっているだろうから意味は無いと分かっている。分かってはいるけれど、居た堪れないのだから仕方ない。

「それに、あいつらとはどうせ明日会うんだ。その時に思い切り楽しめば良いさ」
「…今日の分まで?」
「ああ、今日の分まで。だから」

 途切れた言葉を促すように顔を上げた三郎に、兵助は笑いかけた。とても綺麗に。

「今日は、明日の分まで」

 その先に続く、音にはしなかった言葉を寸分の誤りもなく読み取った三郎はこたつに突っ伏して呻いた。

「ああ、くそっ…!兵助のくせに」
「何だよ、それ」

 憮然とした呟きが聞こえるが、三郎は額をこたつ台に預けたまま無視をした。
 だって顔なんて上げられるわけがない。ああ悔しい、兵助のくせにっ!

「………なぁ、三郎は?」

 しかし次に頭上から降ってきた彼の声に、嵐のような心境は一気に沈静化した。
 何気ない風を装ったいつも通りの声。しかしそこに微かに混じっていた緊張に、三郎は呆れてしまう。

 あんな恥ずかしいことは堂々と言えるのに、それを訊くのには不安を感じるのか。
 こんなにも、分かりきっていることなのに。
 ………まぁ、兵助らしいけど。

 三郎は密かに苦笑を漏らして、こたつに突っ込みっぱなしだった両手を引っ張り出す。
 右腕は突っ伏したままだった自分の頭の下へ。それを枕にするように右のこめかみを押し当てながら、目を閉じる。
そして、空いた左腕は頭上へとこれ見よがしに投げ出した。
 すぐに耳に届いたのは、微かな安堵の吐息。それと共に手のひらに柔らかく熱と重さが重なってきて、しっとりと落ち着く。
 薄目でちらりと確認したその手のひらの持ち主は、先の自分と同じように頬を染めて俯いていて、三郎はわずかに口元を緩めた。


 静かな空間で音を伝えてくるのは、部屋の時計と遠くで鳴り響く寺の鐘。
 規則正しい音を刻み続けるそれらに、もうすぐ年が明けるのだと気付く。

 昨年はバカ騒ぎをしながら、カウントダウンなんかもやったりしたけれど。

 三郎はそっと目をあけて、あれきり何も言わない兵助を横目で見遣った。
 すると兵助は頬杖をついて、自分と同じように目を閉じていた。
その本当に幸せそうな微笑に、三郎もまた小さく微笑んで再び静かに目を閉じる。

 これでは二人とも、時計の針が全て真上を指しても気付きはしないだろう。
 聞こえてくる鐘の音も今何度目か分からないし、これから数える気もない。でも。

 今は今年の終わりまでを数えるよりも、新年の訪れまでを口にするよりも、ただ流れる『今』を感じていたいと思った。
 もちろん、ここにある特別な時間を、なんてことは絶対に口にしてはやらないけれど。

 鐘が鳴り止んだら新年。自分たちはきっとそれで良い。
 惜しむでもなく、待ちわびるでもなく、それが『今』になった時にそう感じれば、それで。

 静かな部屋。時計の音。鐘の音。
 そして互いの微かな呼吸音と、左手にある確かな温もり。

 今はここにある『今』だけが全てで良いと、そう思えた。


玲菜